
ロレアルのプロモーション広告をアジア人初として手がけたMASAさん。
来年には世界に向けてその作品が発信される。 「ロレアル」というと“美容”のイメージが強いが、MASAさんにはその枠に縛られている様子は見えない。
現に今でもメンズ・レディースとも、カットは理容のやり方なのだ。
有名タレントからジャーナリスト、モデルのヘアメイクも数多く手がける傍ら、全国に143店舗、約1900人が所属する株式会社TAYAのトップ、クリエイティブディレクターとして華やかな世界で働く彼の裏側には、常に強い意思と人の数倍もの影なる努力があった。

学生時代はとにかく地味だった、と語るMASAさん。 家業が理容店だったことから理容学校に入ってみたものの、ボクシングに明け暮れていた。
学校でも先生から教えられたマニュアルに従ってやってただけだから上達するはずもなく、ワインディングも時間内に巻けなかったという。TAYAでトップクリエイターの座に座る彼だから、学生時代からコンテストに入賞したり、理容師になるためにわき目も振らずに突き進む優等生だったに違いない、と勝手なイメージを抱いていたが、意外と普通の学生と変わらない。どちらかというと、学生時代にはまだ方向性が定まっていないようだった。学校卒業後もプロボクサーとしての生活をしつつ、週末は実家の理容室を手伝う日々が22歳まで続いた。

23歳、転機はやってきた。
友達がコンテストで優勝した。そのきれいに完成された作品に「自分は何をやってるんだろう」と思わせるほどの衝撃を受けた。
そこから一気にやる気になり練習の日々。この仕事に対して初めての自分の欲求。
ボクシングは辞め働きながら練習を積み重ね、なんと1年後同じ大会で準優勝、そしてその翌年には見事優勝する。
TAYAに理容師として入社するが、美容師免許を取ることもヘアメイクアーティストになることもMASAさんにとっては自然の流れだった。
目標があり、それに向かってただ突き進んでいるのだ。

26歳で美容師としてデビュー。
しかしデビューからわずか1ヵ月後に当時のお客様だった人気お笑いコンビの縁で、『亭主改造計画』というテレビ番組に出るチャンスを得る。
新たな挑戦と試行錯誤の日々。髪だけにこだわらずメイクもファッションもトータルでやっていきたい、そんなビジョンが彼にはあった。
TAYAでは1日に20~25人の指名が入る。サロンではもちろん、メディアにおいても時間との勝負で感覚を大事にしている。
経験と努力の積み重ねによって得られたMASAさんの独特の感覚と技術を垣間見ることができたのが学園祭でのセミナーショー。仕事とはいえ、初めて会ったモデルさんの骨格や服装から、瞬時に的確なイメージを描き出し、そこからぴったりのヘアメイクを作り上げる過程に息を呑んだ。
MASAさんはこの感覚を大事にしている。
「感覚って言ってしまえばそれまでなんですけど、裏づけ・理論があってこその感覚なんです。」
自分で考え、自分でやろうと思って、自分で動いて得たもの、それは確実に自分の武器になっているのだ。
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